世界紀行

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10.ジャングル、ジャングル、マレーシア

-マレーシアってどこ?
オランダのアルスメーヤーでの研修期間を終え、6年ぶりの帰国準備をしているところにマレーシア行きの話が舞い込んできました。日本フローリスト養成学校の中瀬いくよさんから、同校を卒業してマレーシアでフラワーショップのフランチャイズを経営するイバ・スーさんを紹介されました。マレーシアが国を上げて応援している花の祭典“フローラフェスタ”の花の飾り付けを出来るデザイナーを探しているとのことでした。その当時ʻ96は、日本はまだ不況でしたが、マレーシアはアジア屈指の経済繁栄を続けていて大変景気がいい時期でした。とは言うもののマレーシアに対する知識は全くなく、ジャングルとオランウータンのいる国と言うイメージしかありませんでした。このまま帰国するよりは、道の国に行ってみたい!という気持ちがムクムクと湧き上がり、結局この一枚の紹介FAXが、日本帰国予定からマレーシアでビジネスを始めるきっかけとなりました。

-いざ、マレーシアへ
FAXで紹介された名前だけを持ちまだ見ぬ国マレーシア行きの飛行機に乗り込みました。まあ、取って食われることはなかろう!と思いつつ、少しの不安と大きな期待を持って降り立ちました。飛行機を降りたとたんに、ムーっとする熱気と東南アジア独特のザワザワした雰囲気の中、税関を通り外に出ました。年平均の日中の気温が32度とは聞いていましたが、夜8時の時間でも、背中を汗が流れるくらい蒸し暑い!外に出ると、何十人という人がネームプレートを持って人を探している。これは、まだ見ぬ人を探すのは、大変だと思いしばらく端の方で見ていると、いました、いました“RyujiSakatani”のプレートを持ったインド人の人が。

-マレーシアの花屋さん
翌日、イバさんの経営するそごう百貨店の花屋に行きました。さすが日系の百貨店です。売り場のスタイルは、日本の百貨店と同じように並べられここがマレーシアであることを忘れるくらいです。店のスタッフも多民族国家のマレーシアを象徴して、中国系、インド系、マレー系、インドネシア系、それに私、日本人が加わって国際色豊かな花屋さんです。商品構成は、造花の花が6割で、生花が3割、あとはドライフラワーやギフトアイテムです。生花は、キーパーに入れられ売られています。気候の関係で切花の需要はまだ少なく、造花のアレンジメントや壁掛けが主流でした。

-マレーシア産の花
マレーシアでの生花の流通は、農家から花問屋を通って花屋に渡ります。多くの花問屋は、古くからの歴史のあるチャイナタウン内にあり、そこが花の流通を仕切っています。市場システムのまだ整備されていないマレーシアの花の流通システムは、各花屋が点在する問屋に電話注文して、すべて配達されてきます。花の価格も固定相場制で、年中同じ価格で取引されます。価格的には、日本の3分の1ぐらいで売られています。花の種類は、日本で見られるベーシックな花はほとんど年中揃っています。ローズ、カーネーション、スプレーカーネ、スプレーマム、すかしゆり、カサブランカなどは、一年中手に入ります。これらの花は、クアラルンプールから北へ約220km、ブサール山脈に広がるキャメロンハイランドで作られています。こちらは、日中平均気温が21度前後で花の栽培に大変適しています。もちろん南国のトロピカルフラワーであるアンスリュームやピンクッション、デンファレやシンピジュームなどのオーキッド類に加えて、1mを超すアップライトヘリコニアやハンギングヘリコニアなどは、豊富に安く手に入ります。

-フローラフェスタ(フラワーフェスティバル)
毎年7月にマレーシアの国をあげてフローラフェスタという花の祭典が行われます。この時期は、町の中心であるマレーシア連邦政府事務局前を花のフロート(花で飾られた大型車)が行進して、町中の大きなショッピングモールやホテルは、花で一杯に飾られます。私が担当したのは、ジャスコのバンダウタマショッピングモール内ステージの装飾でした。まず、発砲スチロールで作られ風車の表面に、インド人街から買ってきた香辛料に使う大小さまざまな種を貼り付けていきます。色や大きさの違いを利用して塗り分けて模様を作り壁を表現しました。各国の民族衣装を着せたマネキンをステージに配置して、中央にはマレーシアから世界一の高さを誇るペトロナスツイーンタワーを、花の国オランダからは、風車を、中国からは万里の長城をイメージさせる大きな門が配置されました。ステージの生花での飾り付けスタッフも国際色豊かなメンバーで、終始英語でコミュニケーションを取っていましたが、終わる頃にはすっかりマレー語で挨拶する自分がいました。とてもフレンドリーな国民性のマレーシア人たち。物価も安くとても住みやすそうな国です。これから2年半の間、この国でビジネスを始める事になろうとは、このとき夢にも思いませんでした。