- 世界紀行
1.花を追いかけるきっかけ。
世界中の人と花を通じて友達になりたい、世界中の花文化を見て回りたい!
この単純な夢が、花を追いかけてアメリカ留学に始まり、ベルギー、オランダ、マレーシアと7年半のを掛けて、世界中を渡り歩いたきっかけです。
アメリカに留学を計画したその当時は、26歳、幸か不幸か独身で、健康だけが取り柄のやたら元気でバリバリの大阪弁を話すサラリーマンでした。仕事も6年半が経ち、自分ではよくやっていると自己満足しながらも、20代でやっておかなければならないことは何か、このままでいいのか、いつも何かを探していた時期でした。サラリーマン生活は、週休2日で快適そのものでした。しかし、海外に出たい!と言う希望で、海外の支店に転勤を申し出たのですが、あえなく却下。英語もろくに話せず、経験もない若造に海外勤務は、会社ではチャンスがありませんでした。日本の会社で順番を待っていては、いつになることやらわかりません。これは、自分で行くしかないと心に思い、いつか来る留学する日を夢見ての準備が始まりました。
この会社員時代に、いつかは留学するぞ!と思い会社のお金で英会話教室に通い、週末はアメリカ人(但し大阪弁のうまい英会話の先生)とテニスしたり、アメリカ人並みの体力を付ける為にスイミングスクールに通い泳ぎ込んだりで、いつか来る留学のチャンスを待っていた。生け花で花の基本的な取扱いを勉強していたので、最初の英語が理解できなかった時期でも、花のことであれば、どうにか会話が成立する、英語が通じたことに感動を覚えました。また、茶道はアメリカでディナーをご馳走になった時などに、大活躍しました。食後にさっそうと茶箱と取り出し、アメリカ人にこれがTeaCeremonyだと言って、お抹茶を点ててあげると初めて飲む抹茶に目を白青?しながら喜んで飲んでいました。2杯めは、NoThanksといっていましたが、、、。これから留学を考えている人には、日本の文化である“道”とつく何かをマスターしてから行くことをお勧めします。たとえば、華道や茶道に香道それに、柔道、剣道、空手道なども海外で出会う人たちに説明してあげると、きっと喜ばれるでしょう。海外に出て、初めて日本文化の素晴らしさを実感し、日本がこれから、車や家電製品だけを輸出するのでなく、日本文化を含む文化を輸出する国になれると思いました。
さて、実際に留学するには、会社を辞めるにも、両親を説得するにも、それ相当の理由が要る。当時は未だ、花留学に関する詳しい資料も身近にはなく、大阪府の留学相談センターに行き、全米の短期大学及び、専門学校リストをチェックした。英語力と文化を学ぶ為には、最低でも2年は滞在できるプログラムを探した。短期の花留学のプログラムはあっても、2年を超えるものは、数えるほどだった。その中に、あった、あったいいのがあった。それも、花のサンフランシスコに花屋やフラワーデザイナーになる為の学科で、RetailFloristryというのがあった。これは、2年制でサンフランシスコ州立大学の学部の1つで、もちろん卒業するには、フラワーデザインの授業のほかに、アメリカの一般教養や歴史、国語(もちろん英文法)など、アメリカ人と同じ単位数が必要です。私の場合は、1年間を大学に留学するためのに必要な480点のTOEFL(英語の学力テスト)スコアーを取るために使い、大学卒業に2年半、トレーニングビザで1年の合計4年半、サンフランシスコに住みました。
何はともあれ、これこそが私が探していた理想的な留学先です。花屋の息子がアメリカに花留学、これですべてのつじつまが合う。画して、めでたくこの理由で会社は辞めたが、両親の方は、ダメ、ダメの一点張り、、、最後は一言、“金も出さんからもう口も出さん”と言う名台詞を背中で聞いて、見事説得に成功?した後、貯めたお金をしっかり握り締めてアメリカへ旅立った。
日本で生け花を勉強したのが花文化との関わり始めで、アメリカに渡ってハイスタイル(ウエスタンスタイルと生け花の要素を取り入れた現在アメリカでの主流の生け方)を勉強し、ベルギー、オランダでヨーロッパの花文化を勉強してきました。それぞれの国に実際住むことにより、その国の文化や風土を肌で感じてみました。これから、それぞれの国のことや習慣のことなどを紹介していきますので、お楽しみに。